日秀神社

[`yahoo` not found]
LINEで送る

加賀の国の名家に生まれた僧・日秀が薩摩藩を訪れた際、島津貴久に正八幡宮(鹿児島神宮)を再建を頼まれそのお礼として宮の裏山に三光院という寺を開いた。貴久の息子義久が九州制覇に乗り出した時、成功を祈る為石室に籠もって亡くなったと言われる。三光院は日秀亡き後も弟子達が引き継いだが明治の廃仏毀釈で日秀神社となり今に至る。歴代住職の墓石や古石塔類が三光院墓碑群として多数残っています。