国分市街地から車で約5分のところにあり,北に霧島連山,南に桜島の雄姿と波穏やかな錦江湾。そして,眼下に国分平野を望む高さ192メートルの高台にある公園です。園内にはたくさんの桜やツツジが植えられ,展望台,観覧車,ゴーカー […]
かつて国分八幡神社(鹿児島神宮)と宇佐八幡神社(宇佐神宮)の間でどちらが正統の八幡宮であるか論争があった。1132年(長承元年)あるいは1527年(大永7年)11月、宇佐八幡の神官14名が鹿児島を訪れ国分八幡の古文書を調 […]
祭神である和気清麻呂は、神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮神託事件に関連して大隅国へ遠島となった。嘉永6年(1853年)、鹿児島藩第11代藩主島津斉彬が日向国・大隅国を視察した折に、この地に松を手植えし、側近の八田知紀 […]
標高200メートルの台地にある上野原テクノパーク内にあり,展望台からは,大パノラマが広がり,南に桜島,錦江湾,北に霧島連山が一望できます。ギリシャ風神殿をほうふつさせる外観となっており,夜間はライトアップし,幻想的な雰囲 […]
加賀の国の名家に生まれた僧・日秀が薩摩藩を訪れた際、島津貴久に正八幡宮(鹿児島神宮)を再建を頼まれそのお礼として宮の裏山に三光院という寺を開いた。貴久の息子義久が九州制覇に乗り出した時、成功を祈る為石室に籠もって亡くなっ […]
慶長9年(1604年)頃、島津義久はそれまで住んでいた富隈城から、新しい城を新設して移り住んだ。なお縄張りは、帰化した明国人で加治木衆中の江夏友賀が担当。義久は寒村であった場所に京都風の碁盤の目をしき、明より商人を招いて […]
文禄4年(1595年)、九州平定した豊臣秀吉により強制的に隠居させられた島津義久はそれまで居城としていた内城を退去する事態に追い込まれ、急遽薩摩国と大隅国の境にあり、港が近くにあるこの地に屋形を築いた。通常島津氏の城は裏 […]
山幸彦と海幸彦の説話に登場し、一般には山幸彦(やまさちひこ)の名で知られる神武天皇の祖父に当たる人物であり、鹿児島神宮に祀られているホオリ(天津日高日子穂穂手見命)の陵墓と考えられている。明治5年5月23日に明治天皇が、 […]
寺田屋事件で負傷した坂本龍馬、お龍夫妻が新婚旅行の際、18日間滞在した場所が塩浸温泉です。龍馬資料館(有料)、塩浸温泉(有料)、足湯(無料)と二人の記念碑があります。 No related posts.
上野原テクノパーク内にある縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡。遺跡の周辺は鹿児島県上野原縄文の森と呼ばれる県営公園として整備されている。また、鹿児島県立埋蔵文化財センターが敷地内に併設されており、鹿児島県の考古学発掘 […]