富隈城跡

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文禄4年(1595年)、九州平定した豊臣秀吉により強制的に隠居させられた島津義久はそれまで居城としていた内城を退去する事態に追い込まれ、急遽薩摩国と大隅国の境にあり、港が近くにあるこの地に屋形を築いた。通常島津氏の城は裏山に後詰めの山城があるが、この富隈城にはそれに当たる物が無く、秀吉に対して恭順の意を表したとも、或いは秀吉に圧力を掛けられたとも言われている。慶長9年(1604年)、島津義久は隣の国分に新しい城・国分城を築いて移り、富隈城は廃城となった。現在は石垣のみが残っており、北側には公園ができている。南東隅の石は加藤清正が寄進したものと伝わる。